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「山本昌」の経歴・詳細な説明
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Infobox baseball player
選手名 山本昌
本名 山本 昌広
所属球団 中日ドラゴンズ
背番号 34
選手写真ファイル名 CD-Masahiro-Yamamoto.jpg
国籍 JPN
出身地 神奈川県茅ヶ崎市(東京都大田区生まれ)
生年月日 生年月日と年齢 1965 8 11
没年月日
身長 186
体重 87
利き腕 左
打席 左
守備位置 投手
プロ入り年度 NPBドラフト 1983
ドラフト順位 ドラフト5位
初出場 1986年10月16日
最終出場
年俸 4,000万円(2012年)
経歴 ・ 日本大学藤沢高等学校・中学校 日本大学藤沢高等学校 ・ 中日ドラゴンズ (1984 - ) '''山本昌'''(やまもとまさ、本名:'''山本 昌広'''(やまもと まさひろ)、1965年8月11日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。東京都大田区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市名誉市民。 2012年4月現在、'''日本プロ野球における現役選手では最年長(46歳8か月)'''である。 経歴 プロ入り前 野球チームに初めて入ったのは小学3年生のとき#山本昌 山本昌、48頁。。中学校3年の夏、所属する野球部で神奈川県大会に出場し#山本昌 山本昌、51頁。、日本大学藤沢高等学校・中学校 日大藤沢高にスポーツ推薦で入学する#山本昌 山本昌、52頁。。当時の日本大学藤沢高等学校・中学校 日大藤沢高の野球部監督、香椎瑞穂は山本を同期の別の部員一人とペアで日本大学に推薦する。山本本人も高校卒業後は日本大学に進学し教師を目指すつもりでいた#山本昌 山本昌、57-58頁。。しかし、山本は1983年度新人選手選択会議 (日本プロ野球) 1983年のドラフトで中日ドラゴンズに5位指名を受ける。香椎に「おまえならプロでやっていける」と激励を受け、また山本のプロ入団がペアで推薦されていた別の部員の進学に支障を来さないこととなったこと、父親が長野県出身の中日ファンだったことが最終的に大きな決め手となり「おやじが喜ぶ」と入団を決意した#山本昌 山本昌、66頁。中日スポーツ 2012年4月21日 5版 2面。 入団 - 留学前 入団当時、野球解説者だった星野仙一(1987年より監督)は「野球の背番号 背番号が34で左投げというから『金田正一 金田2世』と期待してブルペンを見に行ったが、ただの大柄な男で、あまりに不恰好なモーションでコントロールもない。球も130km/h前後しか出ないからがっかりした」と語っており、山本本人も「小松辰雄さんのピッチングを見て、とんでもない所に来てしまったと思った」と回顧している。 by 1986年シーズン終盤の消化試合一軍初登板を果たした。翌by 1987年には開幕一軍入りしたが、4月14日の広島東洋カープ 広島戦でのナゴヤ球場一軍初登板でヒジを痛め(のちに疲労骨折と判明)、その後登板機会がないままシーズンを終了する#山本昌 山本昌、52頁。。 アメリカ留学 by 1988年2月、中日は業務提携していたロサンゼルス・ドジャースと同じベロビーチでキャンプを行い、山本ら若手選手5人が野球交換留学としてそのままアメリカに残ることになる#山本昌 山本昌、74-75頁。。しかし実情は中日がドジャースとの交流関係を保つために選手を派遣する必要があり、その年の戦力にならない選手が選ばれ、山本については「手足は長いし、体も大きい。本場アメリカの指導者ならこういう選手の扱いに慣れている分、うまくいくかもしれない」という一抹の期待を掛けられてのものだった。 ドジャース傘下のマイナーリーグ 1Aベロビーチ・ドジャースには山本と西村秀嗣 西村英嗣が所属することになり、そしてそこで前年に山本を指導していたドジャースの世話役・生原昭宏 アイク生原との再会が人生の転機となる。生原からは投手の基本である低めへのコントロール、カーブ (球種)#スローカーブ スローカーブの精度の向上、その他生活習慣を厳しく指導されたが、特に大きかったことは消えかけていた野球への熱意や楽しさを再び思い出させてくれたことであったという。 3月ころ、生原がドジャースの往年の名投手サンディー・コーファックスに山本のピッチングを見せたところ、「アイク、あのピッチャーはだめだよ。彼はサイドスローにするか、トラックの運転手になるか、どっちかにしたほうがいいんじゃないの」という評価だったという#山本昌 山本昌、127-128頁、#生原喜美子 生原喜美子。また、これも3月、生原に連れられてロサンゼルス・ドジャースのフェルナンド・バレンズエラのピッチング練習を見に行くが、そのスクリューがあまりに衝撃的であったために「投げられるわけない」と思う。その2か月ほどあと、チームメイトのメキシコ人内野手http://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id spagnu001jos ヨゼフ・スパグニョーロが、試合前のキャッチボールでスクリューボールを投げていたのを見て、その選手から投げ方を教えてもらう#山本昌 山本昌、16-19頁。。後に自分も遊びで投げてみたところ、驚くほど球が曲がったそうである。よく曲がるので、その日の試合でも使ってみたところ、決め球として通用。それ以後の登板に使っていると、1Aのオールスターゲームまで呼ばれるようになり、それを見た対戦相手の数球団のスカウトが評価、メジャーリーグベースボール メジャーリーグのロースター (MLB) ロースター入りを正式に打診された(ドジャースからは打診がなかった)。しかし、山本のビデオを見た星野が成長ぶりに呼び戻すことを決定、リーグ優勝を実現するための戦力とするべく、当初1年間のはずであった留学予定が切り上げられ(星野自身は、「そのままメジャーでやらせてあげてもよかったが、球団社長の意向で」と発言している)。このため、ロースター入り・メジャーリーグベースボール メジャーリーグデビューはならなかった。ベロビーチ・ドジャースでの成績は、13勝7敗、防御率2.00http://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id yamamo001mas BASEBALL-REFERENCE.COM。 帰国 - 再留学 帰国直後、当時の中日の投手が足りない状況だったこともあり先発の一角に加わると、スクリューや精度の高いコントロールを駆使して一軍で5連勝(なおかついずれも自責点0)を記録し、リーグ優勝に貢献した。その1988年の日本シリーズでは第3戦の先発に抜擢され工藤公康と投げ合ったが、彦野利勝の先頭打者本塁打の1得点を守りきれず敗戦投手となった。 by 1989年、なかなか勝利をあげることができず、シーズン14登板目の5月27日の対巨人戦での完封まで初勝利を持ち越す。この勝利に山本は試合終了直後から涙を流し、後年最も思い出深い1勝に挙げている#山本昌 山本昌、97-99頁。しかし、9勝目以降なかなか勝ち星を得られず、星野から同シーズンオフにおいてのアメリカへの教育リーグ再留学を言い渡される。名誉挽回の10勝目と日本残留の最後のチャンスとして9月23日の対阪神タイガース 阪神戦に登板するも、味方の失策などが重なり終盤逆転負けを喫しシーズン9勝に終わり、やむなく留学する。ただ既に2桁勝利するしないに関係なく、球団側は留学させることを決定済で航空機のチケット(エコノミークラス)は用意されていたといい、山本は渡航の際に差額を払ってビジネスクラスに変更した、と語っている#山本昌 山本昌、86-87頁。このオフの留学で、アイクと共にスローカーブを習得に励む#山本昌 山本昌、87-88頁。 1990年代 by 1990年は初のシーズン10勝を挙げた。 by 1992年に恩師のアイク生原が永眠。精神的ショックは大きく葬儀の場では棺の前で泣き崩れて立ち上がれず、同じく生原に世話になり同席していた長嶋一茂らに抱き起こされなければ立ち上がれなかったほどであった。棺には前年までのシーズン自己最多勝利数を更新した、11勝目のウイニングボールを納めた#山本昌 山本昌、129頁。その年は最終的にシーズン13勝を記録するが、チームは最下位に沈んだ。 by 1993年、by 1994年と2年連続最多勝投手となる。以降1990年代は今中慎二と共に左の二枚看板として中日投手陣を支えた。1994年にはシーズン19勝(8敗)で沢村栄治賞 沢村賞を受賞している。 by 1997年は初の開幕投手を任され、開幕戦で横浜ベイスターズ相手に8回2/3を投げ自責点2で勝利(ナゴヤドーム初の公式戦で、同球場で初めて勝利を記録)。その年18勝で3年ぶり3度目の最多勝と初の最多奪三振。しかし中日は最下位と低迷した(なお、山本昌はby 2001年の札幌ドーム初の公式戦でも巨人相手に先発している)。同年オフ2年契約、「2年間で合計20勝出来なかった場合は2000年度の年俸はダウン」の条項を組み込んだ契約を結ぶ。 by 1998年 2年連続開幕投手を務めたが、広島市民球場 (初代) 広島市民球場で10歳上の相手先発大野豊_(野球) 大野豊との投げ合いに敗北などを含めて9勝9敗の成績で終わる。 by 1999年 4月には月間MVP_(日本プロ野球) 月間MVP獲得しての開幕11連勝や11年ぶりのリーグ優勝に貢献したが、9月4日の広島戦で佐々岡真司と投げ合い、0-0で迎えた9回裏に新人外野手福留孝介のエラーでサヨナラ負けなどの不運もあり、8勝6敗。しかし防御率2.96は上原浩治・同僚野口茂樹に次ぎリーグ3位だった。 2000年代 2000年代に入ってもローテーションの一角を守り続ける息の長い活躍を続けており、2012年5月現在での通算勝利数は中日歴代1位となっているhttp://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2009/200901/CK2009012502000061.html 中日スポーツ:マサ、杉下さん超え 合言葉は「NO CHANGE」:ドラニュース(CHUNICHI Web) 2009年1月25日付、2010年10月12日閲覧。 by 2002年は4月末まで0勝4敗、防御率も7点近くと調子を落としていたが、7月28日の3勝目以降、5勝2敗と復調している週刊ベースボール2002年12/16号 62頁「保存版 記録の手帳 公式戦出場全選手個人成績 2002年プロ野球ペナントレース統括」より。。 by 2006年9月9日の対広島東洋カープ 広島戦で、新井貴浩から通算2000奪三振を達成。9月16日の対阪神戦(ナゴヤドーム)で'''プロ野球史上73人目(84回目)となるノーヒットノーランを達成'''。許したランナーは4回の森野将彦の失策による1人のみのNPB史上2人目となる無四死球ノーヒットノーラン。41歳1か月での達成はプロ野球最年長記録。中日ではby 2002年の川上憲伸以来10人目。ナゴヤドームでは初。結果として森野の失策で完全試合の夢は潰えたことになったため、森野はひどく落胆していた。しかし、試合後のインタビューで山本は「あのプレーがあったからこそノーヒットノーランが達成できた」と発言し、後輩を気遣う山本昌の優しさを見せている。 9月30日の対阪神戦で40歳代としては若林忠志、村田兆治、工藤公康に次いで4人目となる2桁勝利を挙げた。10月15日の対横浜戦ではリリーフで登板し、自身1997年以来9年ぶりでセ・リーグ最年長記録となるセーブを記録(41歳2か月)するなど、11勝7敗1Sの成績を残した。山山杯(#趣味参照の事)をこの年は開催せず、今のところ2005年が最後の開催となっている。 by 2007年4月17日の対阪神戦で完封勝利を挙げ、200勝へ残り8勝と迫る。41歳8か月での完封勝利はセ・リーグ最年長記録。両リーグ通算でも若林忠志に次ぐ2位であった。5月27日の対北海道日本ハムファイターズ 日本ハム戦では史上80人目の500試合登板を達成。しかしそれ以後は結果を残せず、一軍登録と抹消を繰り返す。9月25日の対読売ジャイアンツ 巨人戦では自身のエラーも絡み5失点でKO、二軍落ち、そのままシーズンを終える(2勝10敗・防御率5.07)こととなる。2007年の日本シリーズ 同年の日本シリーズではチームが53年ぶりの日本一となったものの、自身の登板機会はなかった。なお、日本選手権シリーズ 日本シリーズでは、過去に5度(1988年、1999年、2004年、2006年、2010年)出場しているが勝ち星はなく、通算成績も0勝4敗。200勝達成後、次の目標として挙げたものの一つは日本シリーズでの勝ち星であった。 by 2008年4月2日の対巨人戦での登板で、投手としては大野豊 (野球) 大野豊の22年を抜き、野手を含めても衣笠祥雄の23年と並ぶセ・リーグ最長の実働年数(プロ野球最長は2010年現在工藤公康の29年)となった。5月7日の対広島戦で6回を2安打無失点5三振に抑え、シーズン初勝利。5月14日の対東京ヤクルトスワローズ ヤクルト戦で史上26人目となる通算3000投球回を達成。8月4日、ナゴヤドームでの対巨人戦で完投勝利。'''プロ野球史上24人目となる通算200勝を達成した'''。中日球団投手の200勝達成は杉下茂以来51年ぶり、42歳11か月での200勝と完投勝利は共に史上最年長記録。200勝達成投手の中でも5年目に初勝利を挙げたのは最も遅い記録。中日ドラゴンズの投手として初の日本プロ野球名球会入会(昭和生まれではない杉下は入会資格は無い)となった。8月24日の対巨人戦にて史上最年長完投記録を更新(43歳0か月)、史上最年長2桁勝利を記録。8月は4勝1敗の好成績を挙げ、史上最年長で最優秀選手 (野球)#月間MVP 月間MVPにも選出された。10月2日、故郷の神奈川県茅ヶ崎市から茅ヶ崎市民栄誉賞が贈られることが決まりhttp://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/profile/005584.html 茅ヶ崎市民栄誉賞 - 茅ヶ崎市ホームページ 2010年12月11日閲覧、その授賞式が12月27日に茅ヶ崎市総合体育館にて執り行われた。 by 2009年は開幕から二軍での調整が続き、ウエスタン・リーグ公式戦では投球回数が合計で100イニングを超えている。6月に一軍に上がるが、先発した試合で打たれ再び二軍降格。9月11日にようやく一軍再登録を果たし、同日の対ヤクルト戦でシーズン初勝利。大野豊 (野球) 大野豊が持つセ・リーグ記録を更新する「22年連続勝利」を記録した。 2010年代 by 2010年は春季キャンプ中に左肩肩甲骨付近を痛めて(肉離れとの報道もあり)二軍で開幕を迎える。6月に二軍戦で実戦に復帰するが、13日の試合で左足首を痛めて1球投げただけで降板する。その後は調整を続け、8月7日の対阪神戦で同年初登板。6回1失点で勝ち投手となり、「実働25年」と「23年連続勝利」を達成した。さらに9月4日の対巨人戦で完封勝利し、by 1950年に千葉ロッテマリーンズ 毎日オリオンズの若林忠志が達成した史上最年長完封勝利の日本記録(42歳8か月)と、2008年に自身が記録した最年長完投勝利記録を更新した(45歳0か月)。結局、この年は5勝を挙げ、中日ドラゴンズの逆転リーグ優勝に貢献した。 10月23日のクライマックス・シリーズのファイナルステージ第4戦に先発。4回1/3を5安打無失点ながら、ポストシーズン初勝利はできなかった。45歳2か月でのポストシーズン登板は自身の最年長登板記録(43歳2か月)を更新すると共に、1972年のダリル・スペンサーが持つ最年長出場記録(43歳3か月)も更新した日刊スポーツ・大阪版 2010年10月24日 6版 3面。 by 2011年は工藤公康が現役続行の意思はあるも所属球団未定のまま浪人となったことから、実質的には山本昌が現役最年長選手となったが、キャンプ中に右足首を痛め、1軍、2軍ともに登板はなかった。9月23日、右足首の手術を受ける予定である事が報道された http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110924-839684.html?utm_source dlvr.it 日刊スポーツ:46歳昌、現役続行前提に右足首手術へ 2011年9月24日付、2011年9月24日閲覧。同年12月7日の契約更改で同球団の減棒記録を超える60%減の提示にサインhttp://mainichi.jp/enta/sports/baseball/news/20111208k0000m050018000c.html 中日:山本昌投手が契約更改 年俸6割減プラス出来高払い毎日新聞2011年12月7日し、現役続行と9月下旬に手術が成された事、順調に回復し、既に練習を再開していることが報道された。またこの年のオフに工藤が正式に現役引退表明をしたため、名実共に山本昌が日本プロ野球での現役最年長選手となった。 by 2012年は高木守道新監督が山本昌を復活させると明言し、開幕戦投手の候補としていた。しかし開幕1軍入りは果たしたものの、実際の開幕投手は吉見一起であった。同年4月1日、開幕3戦目の広島戦で先発登板し、実働26年となる。また、46歳7か月の登板で、セ・リーグ最年長登板記録を達成。4月15日の対阪神戦でのシーズン初勝利は自身通算211勝目となり、この勝利で杉下茂の持つ中日球団の投手通算勝利記録に並び、同時に工藤公康の持っていたセ・リーグ最年長勝利記録・プロ野球史上最年長先発勝利記録を更新したCite news url http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20120415-OYT1T00492.htm title 山本昌、先発勝利のプロ野球最年長記録を更新 work YOMIURI ONLINE newspaper 読売新聞 date 2012-04-15 accessdate 2012-04-15 。 4月22日の広島戦では、打者として一塁ゴロによる1打点を挙げ、打点のセ・リーグ最年長記録を更新した。(従来の記録は金本知憲の44歳0ヶ月Cite news url http://jiji.com/jc/c?g spo_30&k 2012042200182 title 山本昌がリーグ最年長打点 work 時事ドットコム newspaper 時事通信社 date 2012-04-22 accessdate 2012-04-22 ) 4月30日のDeNA戦では7回を2安打無失点で勝利投手(2勝目)となり、杉下茂が中日在籍時代に築いた球団記録211勝を54年振りに更新し212勝の球団新記録を達成した。Cite news url http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/01/kiji/K20120501003157340.html title 驚異の46歳 山本昌球団新の212勝目&防御率トップ work スポニチアネックス date 2012-05-01 accessdate 2012-05-01 プレースタイル 投球 持ち球は速球 ストレート、落差の大きいカーブ (球種) カーブ、スライダー (球種) スライダー、シンカー・スクリューボール スクリュー。グラブ (野球) グラブを突き上げ、背を一杯に伸ばしてから舌を出しながら投げる。ストレートの最速は138-139km/h前後(30歳代前半までは132-133km/h前後)で、同い年の星野伸之・小宮山悟と共に「球の遅い一流投手」という稀有な存在である。40歳を越えてなお、年齢を重ねるにつれて球速が上がってきており、2006年には140km/h、43歳になった直後の2008年8月12日の対広島戦では143km/hという球速も記録している。ただ、「球速が出過ぎる時はストレートを投げたがって狙われ、打たれやすい」と周囲から指摘されている。 直球の球速は遅いが軟投派ではなく、テレビ番組『超・人』(BS-TBS BS-i)において「僕は速球派です」と語っているhttp://www.jump.co.jp/bs-i/chojin/archive/089.html 『超・人』過去の放送 。同番組によると2006年度の全投球のうちストレートが45%を占めており、松坂大輔の46%とほぼ同じであった(同番組で技巧派の代表として比較されていた下柳剛はストレートが8%)。 同番組で山本昌の直球の回転数を計測した結果、1秒間に52回転していた。通常の投手の1秒間の平均回転数が37回転、松坂が41回転、藤川球児が45回転であることから山本昌のそれは極めて高く、初速と終速の差と落差が小さい。 打撃 犠打149犠打(2011年終了時)は日本プロ野球の投手史上最多http://www.kernelsupport.co.jp/atonan/japanrecord/gida.htm 日本プロ野球犠打記録http://bis.npb.or.jp/history/acb_sh.html 歴代最高記録 犠打 【通算記録(現役選手)】、2007年にはセントラル・リーグの公式サイトで「隠れた犠打王」として紹介されているhttp://www.npb.or.jp/CGI/cl/kiroku_put.cgi?id 00678&type 1 隠れた「犠打王」 CENTRAL LEAGUE:やきゅう数語録。 人物 by 1988年に頭角を現して以降は先発ローテーション投手として活躍。40歳を過ぎてもなお円熟のピッチングで中日の先発投手陣の一角を任っており、数々の投手最年長記録ホルダーとなっている。選手としての同一球団在籍記録は日本プロ野球記録を更新中。週刊ベースボールのインタビューで、「全力で投げて速球が133km/h出なければ引退する」と語っている。 2009年1月24日に行われたトークショーの席にて、公称では186cm・87kgとしている身長・体重が、実際は188cm・98kgであることを明かしたが、験担ぎとして今後も変更しないことを語った。 登録名の事情 by 1990年、中日に山本保司が入団して山本姓が2人になったため、スコアボードや新聞などで略表記される場合通常「姓・名」で登録されている選手は、姓のみ表記される。は、「山本昌」「山本保」と表示して区別した。by 1995年オフに山本保司は千葉ロッテマリーンズ ロッテに移籍し、山本姓は1人だけになって区別する必要はなくなったが、「山本昌」になってから最多勝利などを獲得したことから本人は「昌」を取られることを拒否し、験を担いでby 1996年より登録名を'''山本昌'''(姓と名の区別がない表記)としている。 なお、後述のラジコンレースに出場する際の選手登録名は、本名の'''山本昌広'''名義でおこなう。レース公式サイト上では、「'''山本 昌広'''」「'''山本 昌'''」いずれも「本」と「昌」の間にスペースを入れるの表記が見られる。 東海ラジオ放送アナウンサーの北山靖は、実況などで山本昌を紹介する際、本名で紹介する事が多い。 背番号34 1984年の入団時より背番号'''34'''である。同一背番号を着用した選手としては、プロ野球史上最長である。同年20番に変更した小松辰雄が着けていた背番号を与えられたが、単に空番号をドラフト指名順に当てはめただけである(1位藤王康晴:背番号'''1'''、2位仁村徹:背番号'''24'''、3位三浦将明:背番号'''26''')。その後活躍が認められ、球団からかつて松本幸行が着けていた中日左のエースナンバーとされている'''21'''への変更を打診されるが、「この番号が自分のプロ生活のすべてを知っているから変えたくない」と拒否した参考:ベースボールマガジン 1998年夏季号「背番号&ユニフォーム大特集」P66(上記の登録名を「山本昌」にした経緯も書かれている)。。今でもユニフォームに袖を通すときは、必ずユニフォームの背面に感謝しながら着る。 趣味 プライベートの山本昌は多趣味なことで知られ、中でも特に有名なのがラジコンである。ラジコンを始めたきっかけは、1995年に膝を痛めてリハビリを行っていた際、昼前にリハビリが終わり、暇つぶしに街に出た時、ラジコンショップでラジコンを見つけて「面白そうだ」と思い、始めたことによる。ラジコンショップにはシーズン中でも1週間に1度はかならず顔を出し、地元名古屋で開催されるレースにはシーズン中(ただし、リーグ優勝が確定し、クライマックスシリーズ開催を待つ期間)でも積極的に参加を重ね、これまでに数々の優勝を経験している。その腕前は玄人にも一目置かれる確かなもので、2002年には全日本選手権のEPツーリングカースポーツクラスで4位に入賞したhttp://www.jmrca.jp/championship/2002/ept_sp/2002ept_sp_f.htm 2002 平成14年度全日本選手権1/10EPツーリングカースポーツクラス決勝結果。フジテレビジョン フジテレビ系の『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「ムダ・ベストテン」ではC・W・ニコルや畑正憲 ムツゴロウらと共に登場しない有名人の一人として長らくランクインされていたが、2009年1月22日放送分で遂に登場し、その腕前を披露した。 ラジコン好きが高じて、親交のあるラジコンメーカー「ミワホビー」とシャーシモデル「'''YM34'''」を共同開発し、一般向けに販売したhttp://www.miwahobby.co.jp/atlasa/jatlas/ym34/index.html YM-34シリーズ - ミワホビーほか、同僚の山崎武司とともに「山山杯」と銘打った競技大会を開催した。毎年盛況を博した山山杯であったが、2006年のオフシーズンに「いや、申し訳ないんだけど、もう10年も続けたでしょう。だから今年はひと区切りということでね」と休止した。末期の山山杯は、開催4日前から主に日本の参加メーカーと専属レーサーのセッティング等準備が入る、世界チャンピオンがタイから参戦する等、最早ラジコン界におけるトッププロによる世界大会に近い大会になっていたhttp://www.tamiya.com/japan/rc/yamayama/index.htm TBエボリューションIII が「山山杯」で表彰台を独占 - tamiya.com。2009年の「200勝記念レース」にもラジコン世界チャンピオン経験者の広坂正美らが参加している。 なお、ラジコンを操作する時の構えは投球前の構えとほとんど同じであり、一部ではラジコンのプロポを持つ姿、ピッチングフォーム、バッティングフォームは全て同じとも言われている。また、ラジコンだけでなく、国内外問わず多数の高級車を所有している。これは「車に見合う、恥ずかしくない選手になれるように」との本人の思いもある。 甲虫集めも趣味で、世界の甲虫を集めて息子と一緒に飼育していた。近所の山へ早朝に出かけ、秘密のスポットでカブトムシやクワガタムシ クワガタを獲ったりしているらしい。武田一浩曰く「こんなにデカイ体してカブトムシの話したら止まらないんだから」とのこと。また飼育する甲虫類が増えすぎた為にその一部を知人・友人に無償でプレゼントしたことも。しかし2007年シーズンが不本意な成績に終わったことなどから、飼っていた甲虫類を全て友人等に譲り、飼育をきっぱりやめたという2008年5月9日付東京スポーツ記事による。 その他の趣味として漫画、ゲーム、競馬が挙げられる。ブックオフなどで絶版の漫画を探す、新作で面白いゲームが出れば、それをクリアする予定を基にシーズンオフのスケジュールを組むなど、多くの情熱を注ぐ。また学生時代は「教科書に漫画がついていたから」という理由で日本史・中国史を好み、秋田遠征時には記者と久保田城についての話で盛り上がったという。高校時代は社会科の教員を目指していたこともあったhttp://homepage3.nifty.com/waytowin/qa/121to150.htm Q&A - 山本昌広公式サイト Way to win。 歌手の小田和正の大ファンであり、彼の名古屋公演ではシーズン中でもコンサート会場に姿を見せることがある。当人同士の交流もあり、2009年1月2日に東海テレビ放送 東海テレビで放送された山本昌の200勝記念番組では、小田がナレーションを務めた。 家族 家庭は夫人と一男一女。家族では実父が1966年度NHKのど自慢全国チャンピオンという経歴の持ち主若い頃は歌手を目指し作曲家の船村徹に弟子入りしていた時期もあったという。実際に歌手としてデビュー寸前であったが、その時期は息子・昌広が誕生した直後とあって家庭を優先した結果、これを断念した。2009年10月にインターナショナルミュージックからシングルCDを発売した他、自費出版にて数枚のシングル曲を発表している。。また5歳下の実弟は日本大学藤沢高等学校 日大藤沢高校野球部監督の山本秀明で、2007年春のセンバツ甲子園大会に導いている日本大学ではプロ入りした真中満・渡邉博幸と同期。渡邉とは日大藤沢高でも同級生。 詳細情報 年度別投手成績 投手成績 リーグ 日本プロ野球 - style "text-align: center;" by2 1986 rowspan "25" style "text-align: center;" 中日ドラゴンズ 中日 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 0.2 2 1 1 0 0 2 0 0 2 2 27.00 4.50 - style "text-align: center;" by2 1987 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 11 1.2 2 0 4 0 0 1 1 0 3 3 16.20 3.60 - style "text-align: center;" by2 1988 8 6 2 2 0 5 0 0 -- 1.000 184 48.2 28 1 13 1 1 35 0 0 4 3 0.55 0.84 - style "text-align: center;" by2 1989 35 26 5 2 1 9 9 1 -- .500 757 181.0 172 14 56 8 2 108 3 0 66 59 2.93 1.26 - style "text-align: center;" by2 1990 26 24 6 1 0 10 7 0 -- .588 646 152.0 154 23 45 3 4 77 5 0 67 60 3.55 1.31 - style "text-align: center;" by2 1991 33 22 2 0 0 6 8 1 -- .429 618 144.0 158 14 43 3 3 96 1 0 73 58 3.63 1.40 - style "text-align: center;" by2 1992 30 25 5 2 0 13 10 0 -- .565 709 170.2 158 22 49 4 2 135 3 0 73 65 3.43 1.21 - style "text-align: center;" by2 1993 27 24 10 '''5''' 1 '''17''' 5 0 -- '''.773''' 710 188.1 140 16 30 2 3 132 1 0 46 43 '''2.05''' '''0.90''' - style "text-align: center;" by2 1994 29 '''29''' '''14''' 2 2 '''19''' 8 0 -- .704 '''868''' '''214.0''' '''203''' 19 46 3 0 148 1 0 86 83 3.49 1.16 - style "text-align: center;" by2 1995 12 10 3 1 0 2 5 0 -- .286 302 74.2 70 15 17 2 1 61 1 0 43 40 4.82 1.17 - style "text-align: center;" by2 1996 26 23 6 2 0 7 9 1 -- .438 647 154.2 159 17 38 2 3 119 4 1 72 63 3.67 1.27 - style "text-align: center;" by2 1997 29 '''28''' 4 1 1 '''18''' 7 1 -- .720 '''838''' '''206.2''' '''174''' 26 57 4 3 '''159''' 1 0 74 67 2.92 1.12 - style "text-align: center;" by2 1998 28 28 5 '''3''' 0 9 9 0 -- .500 769 182.0 185 14 60 3 2 131 1 0 74 74 3.66 1.35 - style "text-align: center;" by2 1999 25 25 1 0 0 8 5 0 -- .615 661 158.1 149 16 44 6 3 116 1 0 55 52 2.96 1.22 - style "text-align: center;" by2 2000 28 21 5 2 1 11 9 0 -- .550 608 151.2 129 16 36 4 2 104 3 0 50 44 2.61 1.09 - style "text-align: center;" by2 2001 28 26 2 2 1 10 '''13''' 0 -- .435 672 163.2 160 12 44 4 2 98 3 0 69 66 3.63 1.25 - style "text-align: center;" by2 2002 21 13 1 0 1 7 6 0 -- .538 352 86.1 90 10 9 1 0 67 1 0 40 38 3.96 1.15 - style "text-align: center;" by2 2003 26 26 0 0 0 9 7 0 -- .563 653 156.0 156 19 35 5 '''9''' 121 1 0 69 62 3.58 1.22 - style "text-align: center;" by2 2004 27 24 1 1 0 13 6 0 -- .684 653 157.0 153 16 43 3 2 120 2 0 56 55 3.15 1.25 - style "text-align: center;" by2 2005 22 21 0 0 0 7 8 0 0 .467 513 116.0 137 12 31 2 8 69 2 0 63 63 4.89 1.45 - style "text-align: center;" by2 2006 27 26 3 2 1 11 7 1 0 .611 686 170.2 147 11 36 3 6 124 2 0 65 63 3.32 1.07 - style "text-align: center;" by2 2007 19 18 1 1 0 2 10 0 0 .167 469 108.1 124 13 27 1 4 71 0 0 68 61 5.07 1.39 - style "text-align: center;" by2 2008 23 22 2 0 1 11 7 0 0 .611 544 133.2 127 15 26 2 2 84 1 0 54 47 3.16 1.14 - style "text-align: center;" by2 2009 6 6 0 0 0 1 4 0 0 .200 137 27.0 45 5 12 1 0 14 1 0 34 32 10.67 2.11 - style "text-align:center;" by2 2010 8 8 1 1 0 5 1 0 0 .833 205 47.2 55 4 12 1 3 28 1 0 20 17 3.21 1.41 - !colspan "2" 通算:25年 547 481 79 30 10 210 160 5 0 .568 13217 3195.1 3077 331 814 68 65 2220 40 1 1326 1220 3.44 1.22 ・ 2010年度シーズン終了時 ・ 各年度の'''太字'''はリーグ最高 タイトル ・ 最多勝利 最多勝:3回 (1993年、1994年、1997年) ・ 最優秀防御率:1回 (1993年) ・ 最多奪三振:1回 (1997年) ・ 最高勝率 (野球) 最高勝率(当時連盟表彰なし):1回 (1993年) ※セントラル・リーグでは、1972年まで表彰 表彰 ・ 沢村栄治賞 沢村賞:1回 (1994年) ・ 最優秀投手:2回 (1994年、1997年) ・ 月間MVP_(日本プロ野球) 月間MVP:8回 (1993年4月・7月・8月、1994年4月・9月、1997年7月、1999年4月、2008年8月) ※2008年8月度は史上最年長記録、2010年シーズン終了時セ・リーグ史上最多タイ ・ ベストナイン (日本プロ野球) ベストナイン:2回 (1994年、1997年) ・ 最優秀バッテリー賞:1回 (1993年、捕手:中村武志) ・ 優秀JCB・MEP賞:1回 (1997年) 記録 ;初記録 ・ 初登板:1986年10月16日、対東京ヤクルトスワローズ ヤクルトスワローズ26回戦(明治神宮野球場)、6回裏1死に救援登板、2/3回2失点 ・ 初奪三振:同上、6回裏に池山隆寛から ・ 初勝利:1988年8月30日、対広島東洋カープ18回戦(ナゴヤ球場)、5回表に3番手で救援登板、2回1失点 ・ 初先発・初先発勝利:1988年9月9日、対広島東洋カープ20回戦(広島市民球場 (初代) 広島市民球場)、6回無失点 ・ 初完投勝利・初完封勝利:1988年9月16日、対ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場) ・ 初セーブ:1989年4月16日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点 ;節目の記録 ・1000投球回数:1994年7月17日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場) ※史上255人目 ・1000奪三振:1997年7月15日、対広島東洋カープ15回戦(ナゴヤドーム)、3回表に黒田博樹から ※史上99人目 ・100勝:1997年7月21日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、先発登板で7回1失点 114人目 ・1500投球回数:1997年9月9日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場) ※史上143人目 ・2000投球回数:2000年9月5日、対横浜DeNAベイスターズ 横浜ベイスターズ21回戦(ナゴヤドーム) ※史上79人目 ・1500奪三振:2001年8月17日、対ヤクルトスワローズ19回戦(ナゴヤドーム)、5回表に宮本慎也から ※史上44人目 ・150勝:2002年9月3日、対横浜ベイスターズ21回戦(静岡県草薙総合運動場硬式野球場 草薙球場)、先発登板で8回1失点 ※史上45人目 ・2500投球回数:2004年6月18日、対横浜ベイスターズ12回戦(ナゴヤドーム)、3回表に相川亮二を右飛で2死目をとり達成 ※史上43人目 ・2000奪三振:2006年9月9日、対広島東洋カープ16回戦(広島市民球場)、3回裏に新井貴浩から ※史上18人目 ・500試合登板:2007年5月27日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(ナゴヤドーム)、8回5失点(自責点4)で敗戦投手 ※史上80人目 ・3000投球回:2008年5月14日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、6回裏に田中浩康を一塁ゴロで2死目をとり達成 ※史上26人目 ・200勝:2008年8月4日 対読売ジャイアンツ16回戦(ナゴヤドーム)、先発登板で9回1失点完投勝利 ※史上24人目 ;最年長記録 ・ セ・リーグ最年長打点:46歳8か月ー2012年4月22日、対広島東洋カープ6回戦(マツダスタジアム) ・ セ・リーグ最年長セーブ:41歳2か月-2006年10月15日、対横浜ベイスターズ22回戦(ナゴヤドーム)、7回表に3番手で救援登板・完了、3回無失点 ・ セ・リーグ最年長勝利・プロ野球史上最年長先発勝利:46歳8か月-2012年4月15日、対阪神タイガース3回戦(阪神甲子園球場)、先発登板で8回無失点 ・ プロ野球史上最年長完投勝利・完封勝利:45歳24日-2010年9月4日、対読売ジャイアンツ23回戦(ナゴヤドーム) ;その他の記録 ・ 開幕投手:4回 (1997年、1998年、2001年、2002年) ・ ノーヒットノーラン:2006年9月16日、対阪神タイガース18回戦(ナゴヤドーム) ※史上73人目・プロ野球史上最年長記録(41歳1か月5日) ・ オールスターゲーム (日本プロ野球) オールスターゲーム出場:6回 (1989年、1992年、1993年、1994年、1997年、2004年) 背番号 ・ '''34''' (1984年 - ) 登録名 ・ '''山本 昌広'''(やまもと まさひろ) (1984年 - 1995年) ・ '''山本昌'''(やまもとまさ)(1996年 - ) 登場曲 ・ 『夢の途中』スピードワゴン SPEED WAGON(2008年~) 関連情報 CM出演 ・ アーレックス(2006年は同僚のアレックス・オチョア選手、2007年は同じく同僚の福留孝介選手、岩瀬仁紀選手とともに、同社のラジオCMに出演していた) ・ 名古屋市長選挙 藤井美菜と共演(2009年) 著書 ・ 133キロ怪速球(ベースボール・マガジン社) 2009年5月 ISBN 9784583101699 出典 Reflist 参考文献 ・ Cite book 和書 author 山本昌 year 2009 title 133キロ怪速球 publisher ベースボール・マガジン社 isbn 978-4583101699 ref 山本昌 ・ Cite book 和書 author 生原喜美子 year 1997 title ドジャースと結婚した男―夫・アイク生原の生涯 publisher ベースボール・マガジン社 isbn 978-4583033822 ref 生原喜美子 関連項目 ・ 神奈川県出身の人物一覧 ・ 中日ドラゴンズの選手一覧 ・ 日本人のマイナーリーグ選手一覧 ・ ノーヒットノーラン達成者一覧 外部リンク ・ 選手の通算成績と情報 http://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id yamamo001mas Baseball-Reference ・ http://homepage3.nifty.com/waytowin/main.html 山本昌広公式サイト Way to win ・ http://www.rajiten-nagoya.com/index.html ラジコン天国 名古屋店(この店でのラジコンレースの入賞者紹介の項に、山本昌が頻繁に登場する) ・ http://bis.npb.or.jp/history/index_active.html 歴代最高記録通算記録ランキング (現役選手) 日本野球機構オフィシャルサイト 中日ドラゴンズ Navboxes title 業績 list1 名球会 沢村栄治賞 セントラル・リーグ最多奪三振 セントラル・リーグ最優秀勝率投手 セントラル・リーグ最優秀防御率 セントラル・リーグ最多勝投手 セントラル・リーグ最優秀投手 セントラル・リーグ ベストナイン (投手) 中日ドラゴンズ開幕投手 中日ドラゴンズ 中日ドラゴンズ1983年ドラフト指名選手 /やまもとまさ /名球会 /日本の野球選手 /最多勝利 (NPB) /最多奪三振 (NPB) /最優秀防御率 (NPB) /沢村栄治賞 /中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 /神奈川県出身の人物 /1965年生 /存命人物 de:Masa Yamamoto en:Masahiro Yamamoto ko:야마모토 마사 zh:山本昌 |