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「美輪明宏」の経歴・詳細な説明
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存命人物の出典明記 date 2009年12月
Infobox Musician
Name 美輪 明宏
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Background singer
Birth_name 経歴 長崎時代(1935年5月15日- 1951年) 美輪の実家は長崎市内の「'''丸山遊郭'''」と呼ばれた遊郭街で『世界』という名前のカフェを経営していた、しかし1941年12月にイギリスやアメリカとの戦争体制に入った中で美輪の父親は「敵性文化を商売にする事は時局にそぐわぬ」と言われてカフェを閉店せざるを得なくなり、金融業に転業。10歳だった美輪は長崎市への原子爆弾投下 長崎への原爆投下時、長崎市本石灰町(爆心地から約4キロ)の自宅におり無事だったが美輪の著書『紫の履歴書』にて、宿題の画を描いていて出来を見ようと二、三歩下がった途端にぴかっと光った。たまたま後ろに下がったため助かったのだと語っている。、その後、近くの防空壕で待機した後に爆心地近くにあった生母の実家へ祖父母を1人で探しに行き惨状を目の当たりにする。 原爆に因って父の貸付先が相次いで破産・他界したため、返金を受けられなくなった美輪一家は貧乏生活を余儀なくされた。その前に美輪の父の後妻が他界しており、父の後々妻も失踪するなどの不幸に見舞われ、美輪は幼い異母弟達と辛い日々を送ることとなった。 終戦後に観た映画に出演していた加賀美一郎のボーイソプラノに衝撃を受け、程なくして声楽とピアノのレッスンを受け始める。海星中学では同期に西岡武夫がいた。エンリコ・カルーソーやベニャミーノ・ジーリの様なオペラ歌手、コンサート歌手を夢見て、1951年春に高校進学のため15歳で上京する。 歌手 丸山明宏 上京し高校へ進学、しかし家業が倒産し中退、翌1952年、17歳になった美輪は新宿駅で寝泊りしていたが銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』との専属契約が叶い歌手デビュー。国籍・年齢・性別不詳として売り出す。 次第に人気を博し、三島由紀夫、吉行淳之介、野坂昭如、大江健三郎、中原淳一、遠藤周作、寺山修司、なかにし礼らの支持を得る。 1957年、 フランスのシャンソン『メケ・メケ』を日本語でカバーし、大ヒットとなる。元禄時代の小姓の衣装を洋装に取り入れ、レース (手芸) レース地のワイシャツなどを身に纏いユニセックスファッション「衣装革命」と称し着飾ったが、この活動もまだまだ保守的であった世間からは冷遇され、全国紙に「丸山明宏を芸能界から追放せよ」と言った内容の批判記事が掲載されたり、見も知らぬ人から石やビール瓶の蓋を投げ付けられもしたと、「天上界の美」と三島由紀夫が絶賛した美貌で、マスメディア マスコミから「神武天皇 神武以来の美少年」、「シスターボーイ」と評され一世を風靡する(自伝『紫の履歴書』)。同じ1957年製作の映画『暖流 (小説) 暖流』(増村保造監督。大映)に歌手で出演しており、カラー映画 カラー映像で当時の美輪の流麗な姿を見ることができる。 『メケメケ』以来のブームは1年程で沈静化。その間に週刊誌で自身が同性愛者であることを公表したことや、旧来のシャンソンのイメージ(美輪曰く 蝶よ花よ、星よ月よに終始する「おシャンソン」)に無い、自ら訳した生々しい内容のシャンソンを歌ったことに対する反発もあり人気は急落する。そんな逆風の中、作詞作曲活動を開始。今もって美輪の主要なレパートリーとなっている『うす紫』、『金色の星』、『ふるさとの空の下』などはこの頃、既に作詞作曲していた。しかし、歌い手が自ら作詞作曲した歌を唄うことには当時の聴衆からも歌謡界からも理解を得られず、レコード化すらできなかった。美輪曰く「人様の情けに生かされた」不遇の時代が続くと共に洗面器に多量の吐血をするなど原爆の後遺症に悩まされ始める。 しかし1963年には、中村八大らの助力により日本初の全作品自らの作品によるリサイタルを開く。翌1964年には『ヨイトマケの唄』を初めてステージで披露する。1966年、前年の内にレコード化されたヨイトマケの唄(『ふるさとの空の下』とのカップリング)が注目され人気が再燃。 俳優 丸山明宏 1967年に、寺山修司の演劇実験室・劇団天井桟敷旗揚げ公演で、寺山が美輪のために書き下ろした『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』に主演。 1968年、自伝『紫の履歴書』を発表。(初版は大光社より) 『黒蜥蜴』以降も『椿姫 (小説) 椿姫』、『マタ・ハリ』、ジャン・コクトー原作『双頭の鷲』(王妃の演技に対し、日本初の女王役者誕生と賞賛された要出典 date 2009年12月)といった舞台や『黒薔薇の館』、『雪之丞変化』などの映画・テレビドラマでの主演を続ける。また1970年からはTBSラジオ&コミュニケーションズ TBSラジオ「ラジオ身の上相談」を担当し、芸能人が担当する人生相談としては異例の25年という長期に渡り続いた。 美輪明宏への改名と体調の悪化 1971年、読経中に『美輪』の字が浮かび、神様が下さった名前だと思い、姓名判断を調べると完全無欠な画数だったため'''丸山明宏から美輪明宏に改名'''美輪の著書『霊ナァンテコワクナイヨー』(2004年)にて記述。「女優引退宣言」(女性役を演じなくなるので、当時こう表現された)を行い、歌手活動に専念する。銀巴里や渋谷ジァン・ジァンでのライヴや全国各地でのリサイタルを精力的に行い、『白呪』(1975年)などのアルバムも多数発表した。また男性役では映画(1977年 井上ひさし原作『日本人のへそ』)やドラマ(1976年『さくらの唄』)に出演している。 1978年『枯葉の寝床』(原作 森茉莉)で舞台活動を再開するが、この頃より慢性気管支炎になり、年々悪化。俳優、歌手活動に支障をきたしはじめ、トークショーなどのテレビ出演を控えるようになる。しかし、その後も演劇では1979年にエディット・ピアフの生涯を描いた、自作自演となる『愛の讃歌』を初演したり、1980年の「メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行」では夜の女王役を演じている。 1983年には『毛皮のマリー』や『青森県のせむし男』を再演。更に1984年には『双頭の鷲』を再演するが、体調は悪化する一方で1985年の『大典礼』(原作・演出 フェルナンド・アラバール)を最後に1993年の『黒蜥蜴』再演まで再び舞台から降りることとなった。病状は深刻で、激しい咳のため肋骨が折れたこともあったという要出典 date 2009年12月。 なお、歌手としては1984年にパリで、1987年にはパリ、マドリード、シュトゥットガルトでリサイタルを行い『ル・モンド』、『リベラシオン』を始め多数の新聞・雑誌に紹介・絶賛された。また1986年からは現在も続くPARCO劇場でのロングリサイタルが始まり、それ以外にも全国各地でのリサイタル公演を行い、舞台に立てなくなった後も切れ目なく活動を続けた。 1990年、東京芸術劇場のこけら落し公演『マリー・ローランサン』を演出。この時既に『黒蜥蜴』再演の企画は持ち上がっていたが、体調面から断念している。またこの年、40年近く唄い続けて来た銀巴里が閉店となり、美輪は最後の日の「さよならコンサート」で自ら作詞作曲した『いとしの銀巴里』を涙ながらに歌い上げた。この模様を各メディアは挙って大きく報じ、また翌1991年の映画『黒蜥蜴』のニューヨークでのヒットなども重なり、この頃から美輪が言う「メケメケ、よいとまけ、黒蜥蜴に続く四回目のブーム」の時期が訪れ、テレビやCMなどへの出演が増えた。 黒蜥蜴再演 1993年、1985年の『大典礼』以来舞台に立てない程に悪化していた持病が前年に奇跡的に完治した事で、24年ぶりに待望の『黒蜥蜴』を再演『黒蜥蜴』の再演は93年以来1994年、1997年、2003年、2005年と続けられている。。前売りのチケットは発売日当日に完売するなど世間の注目を集めた。またこの再演時には自ら主演、演出、美術、衣装、選曲を担当。以降上演される舞台は1994年、1996年の『毛皮のマリー』以外、全て美輪自身の演出となった。美術・衣装・選曲も務めることが多く、脚本・振り付けを担当した作品(美輪明宏版「椿姫」)や原作まで担当した作品(「愛の讃歌」)もある。 1994年には『毛皮のマリー』を海外から演出、照明、音楽など当代一流のスタッフを招き再演。この形式は1996年の再演時にも引き継がれるが、美輪曰く「演出があんまりひどい時は私が手直しした」とのことで、結局2001年の再演では自ら演出することとなる。キャストも美少女を含め全員男性で演じる本来の形式に戻された。 1996年、三島由紀夫が30年来熱望していた美輪演出・主演による『近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町』を上演。三島を歓喜させた当初のプラン通り、サルバドール・ダリと尾形光琳を取り入れた舞台デザイン(葵上)や99歳の老婆から19歳の美女への早替り(卒塔婆小町)など趣向を凝らした舞台となる。また、その年の秋には『愛の讃歌』を17年ぶりに再演した。 1997年、13年ぶりの『双頭の鷲』再演で読売演劇大賞優秀賞を受賞。 映画『もののけ姫』では山犬神、モロの君の役で声優を務め、東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞する。 1998年には再び『葵上・卒塔婆小町』を上演、秋にはデュマ・フィス原作「美輪明宏版 椿姫 (小説) 椿姫」を30年ぶりに上演する。この年2本の芝居を上演したのを最後に翌年の『双頭の鷲』以降、舞台作品は年1本の上演ペースとなる。一方、美輪が舞台活動を再開した1993年以降、芝居のスケジュールとの調整が必要となり公演がない年(1996、1997年)もあったPARCO劇場でのロングリサイタルは1998年以降「音楽会」と名を改め、毎年行われる様になる。以来、美輪のステージは春先の芝居、秋の音楽会で定着し、現在に至っている。 2000年、銀巴里閉店後、唯一のライヴ活動の場となっていた渋谷ジァン・ジァンが閉場となり、2000年3月29日が美輪のジァンジァンにおけるラストライヴとなった(閉場は2000年4月25日)。そしてエディット・ピアフの生涯を描いた「愛の讃歌」を上演。またこの年、アルバム『白呪』が再発売される。桑田佳祐がフジテレビジョン フジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん』内で『ヨイトマケの唄』を歌ったのもこの年である。これ以降も槇原敬之や米良美一を始めとして、多くのアーティストによる「ヨイトマケの唄」の優れたカバーが発表されている。長く放送自粛となっていた民放各局(NHKでは自粛対象ではなかった)で放送される機会も増え、ついに美輪自身もテレビ東京『たけしの誰でもピカソ』内でこの曲を歌った。 2002年に芸能生活50周年を迎える。この年には三島由紀夫の三十三回忌に際して「近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町」を再演している。(相手役は宅麻伸) 2005年にはテレビ番組『オーラの泉』が始まり、「愛の伝道師」として出演している。 2006年、「愛の讃歌」を再演。 2007年、美輪明宏携帯サイト「美輪明宏 麗人だより」をスタート。 2010年、「近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町」を再演。(相手役は木村彰吾、岩田知幸) 人物 ・ 中性的な外見から『ウルトラQ』の第16話の準備稿ではセミ人間のイメージキャストとして丸山 明宏(美輪の本名)が挙げられている。 ・ かつて『さんまのからくりTV』に出演した際には珍答・奇答を連発し、正解はなかったが "ナイスなボケ" に対して付与される「ナイスボケ」を4つ獲得し優勝したこともあった。 ・入浴時には肌のために石鹸を使用せず伯方塩業 伯方の塩で身体を洗うhttp://www.miwa-fan.com/04.html 美輪明宏の世界。『トリビアの泉』で「伯方の塩は国産ではない」というトリビアを知ると、がっかりしたものの「海は世界でつながっているものね」と返した。 ・ 三島由紀夫が自殺した翌年の1971年(自身36歳)頃には一気に白髪になったと語っている要出典 date 2009年12月。また2011年3月28日、『徹子の部屋』に出演した際には「いろんな病気をしてきて肺を患ったとき、30代で3日くらいで一気に白髪になった」旨の発言をしている。その後長らく髪の毛を黒く染めていたが、1998年頃より風水に基づき黄色く染めロング・ヘアーにしている。 ・ 「好きな食べ物は?」との問いに、「人の悩みを食べて、涙を飲んで生きてるの」と答えた福岡放送制作 日本テレビ系「新型テレビ」。。 ・ 永年『法華経』を信仰し、池上本門寺朗子会館で人生相談のボランティアをしているhttp://honmonji.jp/02manabu/index.html 池上本門寺>人生相談。 ・ 2005年4月、『薔薇族』復刊号で伊藤文學編集長との対談に応じた。 ・ 2006年8月19日、日本放送協会 NHKのスポーツ番組にゲスト出演した際、第88回全国高等学校野球選手権大会 高校野球の決勝戦(駒大苫小牧対早稲田実業)について、アナウンサーからどちらが勝つと思うかと質問されると、どちらも頑張っているので引き分けになってほしいと答えた。翌日の決勝戦では延長15回1-1の引き分けになり、翌日再試合となった。 ・ 冗談を言うことが好きで、『SMAP×SMAP』では、中居正広の前世がパブロ・ピカソ ピカソ、「あんな絵が描けるのはピカソしかいない」と言った(中居が生まれたころピカソはまだ生きている)。また、『中居正広の金曜日のスマたちへ』の特番にゲスト出演した際には中居正広の前世を「あなたは前世でもとても有名だったのよ。きつねとたぬきのハーフで名前は『どん兵衛』という名前だったのよ」と言った。 ・ 日本音響研究所の鈴木松美によると、美輪の声には周波数ゆらぎと振幅ゆらぎが含まれているという。 ・ 顔写真は左側からしか撮らせず、右側から撮ったものは存在しない。 交友関係 ・ 長崎海星中学校・高等学校 (長崎県) 海星中学校時代の同級生に西岡武夫(第28代参議院議長)が居り、両者は西岡が亡くなるまで親交が深かった。美輪は西岡の荒々しい性格と行動力に一目置いていたことや、西岡の純粋さを好んでいたことを語っているhttp://mainichi.jp/photo/archive/news/2011/11/05/20111106k0000m010089000c.html 西岡議長死去:評伝 「ミスター一徹」を悼む=岩見隆夫 毎日新聞 2011年11月6日閲覧。 ・ 銀巴里時代から現在まで、数多くの作家(三島由紀夫、江戸川乱歩、澁澤龍彦、吉行淳之介、瀬戸内寂聴、藤島泰輔、なかにし礼、大江健三郎など)や画家(東郷青児、中原淳一、横尾忠則など)、演劇人(中村勘三郎 (17代目) 十七代目中村勘三郎、中村勘三郎 (18代目) 十八代目中村勘三郎、杉村春子、水谷八重子 (初代) 初代水谷八重子、水谷八重子 (2代目) 二代目水谷八重子、赤木圭一郎、田宮二郎、寺山修司、蜷川幸雄、坂東玉三郎 (5代目) 五代目坂東玉三郎、渡辺えりなど)、作曲家(池辺晋一郎など)、歌手(フレディ・マーキュリー、吉井和哉など)と交流。 ・ スピリチュアルカウンセラー江原啓之に信頼を置き、霊能者木村藤子とも親交関係を築いている中居正広の金曜日のスマたちへ 中居正広のキンスマ!波瀾万丈スペシャル! 2007年12月28日。 ・ 奥山和由の監督作品『RAMPO』を絶賛しており、奥山が松竹を追放された後に設立した会社「チームオクヤマ」の名付け親になるなど応援し続けている。 ・ 華道家の假屋崎省吾は美輪明宏のおっかけ(本人公認)を自認しており、美輪から「美をつむぎ出す手を持つ人」と評されたことを誇りにしている。 ・ 歌手の美川憲一は、美輪の影響を受けた一人であり、今でも「お母さん」と呼び、慕っている。 ・ 交友関係のあった作曲家、古賀政男の最後の門下生であった佳山明生の名付け親でもある(本名の丸山明宏より苗字と名前のそれぞれ一文字ずつとったもの)。 その他 ・ 講談社発行の月刊誌「現代」で、2007年9月号から2008年1月号までノンフィクション作家の豊田正義が美輪明宏の評伝を連載した。タイトルは『オーラの素顔』。美輪の少年時代から始まり、赤木圭一郎との哀恋、三島由紀夫や寺山修司との芸術的交流、江原啓之との出会い、『オーラの泉』の裏話まで、美輪の人生が精緻な取材で描かれており、単行本化されている。 ディスコグラフィー シングル #メケ・メケ/ジェルソ・ミーナ(1957年) #ヨイトマケの唄/ふるさとの空の下(1965年) #湯どうふの唄/トニーの唄(1966年) #東京娘/人生の並木路(1971年) #むらさき小唄/大江戸出世小唄(1970年4月10日) #昼メロ人生/砂漠の青春(1983年4月) #ヨイトマケの唄(1998年12月23日) #ヨイトマケの唄/いとしの銀巴里/人の気も知らないで(2003年10月1日) オリジナルアルバム #白呪(1975年) 編集アルバム #美輪明宏の世界(1987年4月21日) #愛の贈り物(1991年8月21日) #全曲集(1996年9月21日) #全曲集(2000年3月6日) #全曲集(2002年9月2日) #ベストセレクション シャンソン・アルバム(2004年12月1日) #テイチク・ワークス 1970-1971(2006年4月26日) #全曲集(2007年09月5日) #全曲集 2009(2008年09月10日) #ベストセレクション(2008年11月26日) #全曲集 2010(2009年9月9日) #ベストセレクション2010(2010年4月7日) #全曲集 2011(2010年10月6日) 企画アルバム #丸山明宏”魅惑の古賀メロ”を唄う(1971年1月5日) #ヨーロッパ・ヒットをうたう(1992年10月21日) #昭和の名歌を唄う(1995年9月6日) #日本の心を歌う(1999年08月27日) #《愛》を歌う(2001年2月21日) #古賀メロディーを唄う(2002年10月22日) #日本の詩を唄う(2006年11月8日) ライブアルバム #魅惑のコンサート #喝采~銀巴里ライヴ(1994年12月1日) #ジャン・ジャンライブ’94(1995年2月20日) ボックス・セット #美輪明宏全集(2002年9月6日) オムニバス #シャンソン・ド・銀巴里(1970年4月5日) 映像作品 #人生愛と美の法則1(2006年3月24日) #人生愛と美の法則2(2006年3月24日) #リサイタル”愛” 1 日本の心を唄う~’91秋パルコ劇場~(2006年12月6日) #リサイタル”愛” 2 サンジャンの恋人~’91秋パルコ劇場~(2006年12月6日) #リサイタル”愛” 3 愛しの銀巴里~’93秋パルコ劇場~(2006年12月6日) #リサイタル”愛” 4 愛の賛歌~’93秋パルコ劇場~(2006年12月6日) 主な出演作 舞台 ・ 青森県のせむし男 ・ エディット・ピアフ ・ 近代能楽集 ・ 黒蜥蜴 ・ 毛皮のマリー ・ 双頭の鷲 ・ 椿姫 (小説) 椿姫 映画 ・ 東京野郎と女ども(1958年)舶来のシスターボーイ ・ 北原怜子 蟻の街のマリア(1958年)ジャン ・ 体当りすれすれ娘(1959年)佐伯登 ・ 新婚列車(1959年)君島登 ・ 未婚(1959年)四人組仙吉 ・ 激闘(1959年)香港ジョー ・ 夜の配役(1959年)吉岡 ・ 愛の濃淡(1959年)ロロ ・ 続べらんめえ芸者(1960年)小柳明 ・ 銀座退屈娘(1960年)大沢ジロー ・ 風流滑稽譚 仙人部落(1961年)洗濯屋の小僧 ・ 猟人日記 (戸川昌子) 猟人日記(1964年)本人 ・ 黒蜥蜴(1968年松竹 深作欣二監督)黒蜥蜴(緑川夫人) ・ 黒薔薇の館(1968年松竹 深作欣二監督)藤尾竜子 ・ 女賭博師壷くらべ(1970年大映 井上芳夫監督)竜神のお松 ・ 書を捨てよ町へ出よう(1971年日本ATG 寺山修司監督)地獄のマヤ ・ 日本人のへそ(1977年日本ATG 須川栄三監督)会社員、偽学生=ヤクザ、助教授の3役(男女登場人物全員同性愛者という状況下で唯一のノンケの男性として困惑する場面まである) ・ TAKESHIS'(2005年松竹/オフィス北野 北野武監督)大物歌手(本人) テレビドラマ ・ 魅惑の宵(1959年10月2日~1961年4月7日、フジテレビジョン フジテレビ) ・ パノラマ劇場 第27話「野良猫天国」(1960年11月6日、日本放送協会 NHK) ・ 創作劇場 「銀座の山賊」(1962年11月10日、NHK) ・ プロ(1963年8月24日、日本テレビ放送網 日本テレビ) ・ NHK劇場 「恋すれば物語」(1964年12月18日、NHK) ・ 夜の配当(1965年9月4日~25日、TBSテレビ TBS) ・ プレイガール (テレビドラマ) プレイガール 第1話「男無用の女ども」(1969年4月7日、東映 / テレビ東京 東京12チャンネル) ・ 五番目の刑事 第11話「白バラは白夜に散った」(1969年12月11日、東映 / テレビ朝日 NET) ・ 雪之丞変化#『雪之丞変化』(1970) 雪之丞変化(1970年4月6日~6月29日、松竹 / フジテレビ) - 中村雪之丞 / 闇太郎役 ・ 非情のライセンス 第1シリーズ 第23話「兇悪のシャンソン」(1973年9月6日、東映 / NET) - 国際刑事警察機構 ICPO捜査官・サリー丸山役 ・ 大河ドラマ NHK大河ドラマ ・ ・ 草燃える(1979年) - 火見王役 ・ ・ 義経 (NHK大河ドラマ) 義経(2005年) - 鬼一法眼役 ・ ニュードキュメンタリードラマ"昭和" 松本清張事件にせまる 第23回「三島由紀夫自決事件」(1984年9月13日、国際放映 / テレビ朝日 ANB) - 証言者として出演 バラエティ他 ・ それいけ!!ココロジー(日本テレビ系、1991年4月20日 - 1992年3月21日) ・ 山田邦子のしあわせにしてよ(TBS) ・ 地球は女で回ってる?(日本テレビ) ・ 国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉(テレビ朝日系、2005年 - ) ・ NHK人間講座「人生 愛と美の法則」(NHK教育テレビジョン NHK教育テレビ 2005年2月 - 3月の月曜日の講義) ・ 知るを楽しむ・私のこだわり人物伝「寺山修司」(NHK 2006年4月の講義) ・ 極上の月夜(日本テレビ)(2006年10月 - ) ・ 「ビートたけしが斬る!実録!大河スペシャル 昭和の真相 1989年! 『つづく。で終る物語』」(2007年12月26日 テレビ朝日系) ・ 「ブラボー!ニッポン 美輪明宏からの遺言・・・」(2008年1月8日 TBS) ・ つながるテレビ@ヒューマン(NHK 「サポーター」として月1回程度出演) ・ クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ系、初期準レギュラー) ・ スーパーモーニング(2010年8月9日、テレビ朝日)・・・ 生い立ちから反戦(原爆)に対する思いまでを中学校の同級生による、長崎での美輪ゆかりの地の映像を交え放送、聞き手赤江珠緒 ・ ミュージック・ポートレイト(2011年7月30日 - 、NHK教育 NHK Eテレ) : その他多数 劇場アニメ ・ 幻魔大戦(1983年角川書店 りんたろう監督)フロイ ・ もののけ姫(1997年スタジオジブリ 宮崎駿監督)モロの君 ・ ハウルの動く城(2004年スタジオジブリ 宮崎駿監督)荒地の魔女 ・ 劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール アルセウス 超克の時空へ(2009年東宝 湯山邦彦監督)アルセウス テレビアニメ ・ メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行(1980年1月9日 - 7月9日 フジテレビ)夜の女王 ラジオ ・ 「美輪明宏 薔薇色の日曜日」(2003年-、TBSラジオ&コミュニケーションズ TBSラジオ) ・ 「ズバリ快答!テレフォン身の上相談」(1970年 - 1996年、TBSラジオ) CM ・ DHC オリーブバージンオイル ・ 森永乳業 Creap ・ マザーズオークション ・ 東京電力 Switch! ・ 日本コカコーラ株式会社 紅茶花伝 ・ 本田技研工業 HONDA ホンダ・エアウェイブ エアウェイブ(2006年) ・ おやつカンパニー フランスパン工房(2007年)このCM中の衣裳は自前である。 携帯公式サイト ・ 「美輪明宏 麗人だより」(2007年11月26日~) 著書 単著 ・ 『獅子の座ぶとん』 角川書店/角川グループパブリック 1986年 8月 ISBN 9784041550021 ・ 『生きるって簡単』 佼成出版社 1987年 1月 ・ 『微笑みの首飾り』 水書坊 1989年 4月 ISBN 9784943843498 ・ 『紫の履歴書』 水書坊 1992年 11月 ISBN 9784943843641 ・ 『光をあなたに:美輪明宏の心麗相談』 メディアファクトリー 1995年 8月 ISBN 9784889913484 ・ 『人生ノート』 パルコ出版 1998年4月 ISBN 9784891945695 ・ 『天声美語』 講談社 2000年 4月 ISBN 9784062101813 ・ 『強く生きるために』 主婦と生活社 2000年 10月 ISBN 9784391124699 ・ 『ああ正負の法則』 パルコ出版 2002年 4月 ISBN 9784891946456 ・ 『愛の話 幸福の話』 集英社 2002年 6月 ISBN 9784087803570 ・ 『地獄を極楽にする方法』 主婦と生活社 2003年 10月 ISBN 9784391128659 ・ 『霊ナァンテコワクナイヨー』 パルコ出版 2004年 4月 ISBN 9784891946838 ・ 『人生学校虎の巻』 家の光協会 2005年 3月 ISBN 9784259546717 ・ 『戦争と平和 愛のメッセージ』 岩波書店 2005年 7月 ISBN 9784000236485 ・ 『美輪明宏のおしゃれ大図鑑』 集英社 2005年 8月 ISBN 978-4087804133 ・ 『世なおしトークあれこれ』 パルコ出版 2007年 3月 ISBN 9784891947514 ・ 『続・人生学校虎の巻』 家の光協会 2008年 2月 ・ 『乙女の教室』 集英社 2008年 8月 ・ 『愛と美の法則』 パルコ出版 2009年 4月 ・ 『花言葉』 パルコ出版 2010年 10月 ISBN 9784891948531 ・ 『悩みも苦しみもメッタ斬り!』 家の光協会 2011年 1月 ISBN 9784259547356 ・ 『明るい明日を』 パルコ出版 2012年 4月 ※第18回スポニチ文化芸術大賞グランプリ受賞 共著 ・ (瀬戸内寂聴)『ぴんぽんぱん ふたり話』集英社 2003年 4月 ISBN 9784087752953 ・ (齋藤孝 (教育学者) 齋藤孝)『人生賛歌』 大和書房 2004年 5月 ISBN 9784479011699 ・ (井筒和幸・井上ひさし・香山リカ (精神科医) 香山リカ・姜尚中・木村裕一・黒柳徹子・猿谷要・品川正治・辛酸なめ子・田島征三・中村哲 (医師) 中村哲・半藤一利・ピーコ・松本侑子・森永卓郎・吉永小百合・渡辺えり)『憲法を変えて戦争に行こう―という世の中にしないための18人の発言』(岩波書店[岩波ブックレット],2005年,ISBN 4000093576) 外部リンク ・ http://www.o-miwa.co.jp/ 公式ホームページ ・ http://www.tv-asahi.co.jp/aura/ テレビ朝日 国分太一・美輪明宏・江原啓之「オーラの泉」 ・ http://www.nhk-ed.co.jp/product/culture/detail/0070.html NHK人間講座 人生 愛と美の法則 ・ http://www.tbs.co.jp/radio/barairo/ TBSラジオ「美輪明宏 薔薇色の日曜日」 ・ http://www.morinagamilk.co.jp/release/05/b0927.html 森永乳業『Creap』 ・ http://www.082.oyatsu.co.jp/product/french/index.html おやつカンパニー『フランスパン工房』 脚注 脚注ヘルプ Reflist ゴールデンアロー賞グラフ賞 /みわ あきひろ /日本のシンガーソングライター /日本の俳優 /日本の演出家 /日本の男性声優 /LGBT人権活動家 /日本出身のLGBTの音楽家 /LGBTの俳優 /ゲイの人物 /異性装者 /長崎県出身の人物 /長崎原爆の被爆者 /法華系仏教の人物 /1935年生 /存命人物 en:Akihiro Miwa fr:Akihiro Miwa ko:미와 아키히로 la:Miva Acihiro nl:Akihiro Miwa |